東京純心大学 こども文化学科 教授 大竹 聖美(おおたけ きよみ)

絵本は愛の結晶。
言葉を通じて世界へ届けたい、
やさしい未来

絵本『ママとうみのやくそく』。韓国のチェジュ島で海女として暮らすママとおばあちゃんを娘の視点で描いたこの絵本は、世代を超えて受け継ぎたい自然の尊さを教えてくれます。

今回お話をうかがうのは、その翻訳者、大竹聖美(おおたけ・きよみ)さん。韓国の絵本や児童文学の翻訳を通じて、手仕事や伝統文化、日常の暮らしを日本に伝えるパイオニアとして活動を続けています。今なお惹きつけてやまない韓国の魅力と、子どもたちに届けたい「うれしい未来」についてお聞きしました。

チマチョゴリが天女の羽衣に見えた、韓国との出会い

チマチョゴリが天女の羽衣に見えた、韓国との出会い
今日、お召しになっているネックレスも韓国のものだそうですね。
そうなんです。
韓国の伝統工芸に、はぎれを縫い合わせてつくるポジャギという布があります。日本の風呂敷や袱紗のようなものですが、小さなはぎれも捨てずに大切にとっておいて、家族の安寧を祈りながら一針一針縫い合わせていくのですから“縁起物”なんです。これは、ソウルのご高齢なポジャギ・アーティストの方の作品なんですが、つけているととても満たされた気分になるんです。
そもそも、韓国にご興味をもったのは何がきっかけだったのでしょうか?
一番最初の出会いは、小学5年生のころに読んだ朝鮮民話です。
よく図書館に通う子どもで、なかでも日本の昔話や民話が大好きでした。そういう本の並びの一番はしに、「朝鮮民話」というのを見つけたんですね。
韓国の児童文学や絵本が日本で何冊も翻訳されだしたのは、2002年の日韓ワールドカップ共催以降のことで、当時は今のように韓国の文化が日常にありませんでした。だから海外という意識もなく、ひとつの民話として手に取ったのがきっかけです。

児童文学の世界ではとても有名な、松谷みよ子さんの再話でした。その安心して読める日本語の中に、「アイゴー」なんて言葉が出てくるんです。感嘆とか驚きをあらわす韓国語なのですが、私にとってはとても魅力的なオノマトペでした。挿絵にある民族服のチマチョゴリも、天女の羽衣のように見えました。それにトラがでてくるのもおもしろかったですね。日本の民話だと、タヌキやサルが出てきますが、トラは出てきませんよね。なんだかとてもユニークで、異質ではないけれど、日本のものともちょっと違う。半分知っているけれど、半分知らない。そんなところに魅力を感じたんだと思います。

韓国に恋をするように夢中になったソウルオリンピック

韓国に恋をするように夢中になったソウルオリンピック
そこから韓国の魅力にはまっていったのですか?
いえいえ、そこに不思議な魅力は感じつつも、今のようにテレビをつけたら韓国の様子や言葉が流れてくるということもなく、機会がありませんでした。

その後、大きなきっかけになったのは、1988年のソウルオリンピックです。
テレビ中継を見ていたら、「時差がありません」って、自分が今いる場所より少し明るい景色が映っていたんです。海外なのに、まるで東京で夏の甲子園の中継を見ているようで、衝撃を受けました。大統領の演説も初めて聞く言葉なのに、なんだかわかるような気がして。海外なのに身近な韓国に、一気に釘付けになりました。

すぐお隣の国でオリンピックがあるということで、あちこちで韓国フェアがあり、新聞をめくれば韓国にまつわる連載もあり。そういうのをくまなく集めてスクラップをしたり、書店に並ぶ数少ない韓国についての本を全部読んだりしていました。そのくらい、衝撃的な出会いだったんですね。

その頃からは韓国の人たちも自由に海外に行けるようになり、日本への留学生も増えた時期なんです。大学生になったわたしは、韓国の学生との出会いもありました。その若い韓国人の人柄や優秀さに魅了され、志の高さにひどく感銘を受けたり。彼らがこんなに真剣に学んでいるのに、私はこの人達のことを何も知らない。うかうかしていられない、と思いましたね。当時はインターネットもまだ珍しく、情報が少なくて常に渇望感を抱いていたように思います。

大学では児童文学の専攻だったので、まわりは欧米の文学を勉強しているのですが、わたしはちっとも英語圏に興味がわかなくて。ちょうどバックパッカーの全盛期で、リュックひとつと『地球の歩き方』を持って何十カ国とまわるということもやりましたが、やっぱり興味があったのは韓国でした。

韓国留学を経て立ち会った、韓国の絵本文化の夜明け

韓国留学を経て立ち会った、韓国の絵本文化の夜明け
その後、日本で大学院を経て韓国へ留学されたとうかがいました。
はい、少し準備期間をおいて、ソウルの延世大学大学院博士課程で韓国近代の児童文化史を研究しました。当時、韓国の高名な教授には、「日本の女性が韓国へ留学するなんて、シベリアに行くようなものだ」なんて言われたぐらい、まわりに日本人は誰もおらず、めずらしかったんですよ。博士号の取得も教育学では日本人第一号でした。

日本では、児童文学を専攻していたおかげで、その世界では一流と言われる先生方に指導をいただいていましたから、そんな日本の女子大生が韓国の大学に来て、しかも児童文学に関心があるだなんて初めてのことだったんでしょうね。韓国でも児童文学研究の第一人者の教授や文学者協会・学会の指導的な先生方に娘のようにかわいがっていただいて、そのご縁は今も続いています。

そのころの韓国は、絵本がまだ広くは普及しておらず、一部の才能をもつ人たちが作っているもので、読むのもまた一部の限られた人でした。市場で親しくしているおばさんなんかに「絵本が好き」って話しても、絵本という言葉を知らないぐらい、意識に差がありましたね。でも志の強い作家や編集者による一種の市民運動のような活動からは、歴史や民族文化、現代社会への深い問いが込められた魅力的な作品がたくさん生まれてきていたんです。

2004年、帰国するタイミングはちょうど日本の「冬ソナブーム」と重なる時期でした。帰国直前のころに、日本で韓国の本を出したいという方と出会い、それなら絵本も良いものがたくさんありますよ、って見てもらったら気に入ってくださって。10冊をまとめて翻訳して出すことに話が運び、それが今の仕事の始まりです。

根の深い木は倒れない。
自国のアイデンティティを追求する韓国の絵本文化

根の深い木は倒れない。自国のアイデンティティを追求する韓国の絵本文化
韓国にはあまり絵本がなかったとのことでしたが、子どもたちは、それまで絵本を読んでこなかったんですか?
まったくなかったわけではありません。たとえば、日本でも昔は世界名作童話全集のようなセット販売の全集がありましたが、そういうものの類似品がたくさん出回っていました。どんな家庭も教育熱が高く、一方で、図書館で本を借りて読むという社会環境ではなかったので、各家庭にずらりと子どもに読ませる全集が並んでいました。

韓国は、1980年に民主化を求める学生や市民を軍事政権が弾圧した歴史があります。休戦状態の分断国家で、まだまだ貧しかった韓国は人権よりも国家への忠誠と経済開発が優先でした。夜間通行禁止令もありましたし、言論も表現も不自由でした。だから80年代は学生運動が盛んな時代でもあったんですね。

そんな活動をしながらも美術表現をしてきた人たちが、民主化した90年代には結婚して家庭を持ち、自分の子どもを育てるようになりました。
そこで、子どもに本を与えようとしたときに気づくんです。「あれ、海外の子どもたちが主人公の話しかない」って。自分たちの文化や伝統を生きる物語がなかったんですね。絵本に限ったことではありませんが、自分たちの表現や文化が、植民地時代、朝鮮戦争、南北分断、経済開発など激動の近現代史の中で断絶してしまっていたんです。

根のない木は倒れる、自国の深い根を探さねばならない。90年代は、アイデンティティを求めていく時代でもありました。だから絵本で扱うテーマも、伝統文化のような土地に根ざしたものになっていったのでしょう。
今回翻訳された「ママとうみのやくそく」も、海女という韓国の文化がテーマですね。
そもそも海女さんって、テーマとしてはすごく重いものです。
海に潜るって命がけですよね。こんな重労働をしなくても、もっと効率的にお金を稼ぐ方法もあるかもしれません。でも、海の恵みを必要以上に取りすぎないようにしながら共存してく姿は、巡り巡って、今はまた最先端な姿でもあります。
『SDGs』*という言葉も盛んに言われるようになりましたが、今は昔の暮らしに戻る部分がありつつも、新しいステージです。古いことも思想的に新しくなれば、同じことをしていてもそれが苦ではないという時代になると思います。

韓国の絵本の魅力は、懐の深い情愛が多く描かれているところです。痛みに共感し、悲しみを分かち合いながら一緒に前を向いてより良く生きていこうとする祈りがあります。それは表層的なものではありません。自分や家族、仲間、そして自国のあるべき姿を真剣に追求しています。 *『SDGs』:エス・ディー・ジーズ。環境保全や貧困撲滅などを掲げて国際社会で制定された「持続可能な開発目標」のこと

子どもたちへ手渡す絵本は「愛の結晶」

子どもたちへ手渡す絵本は「愛の結晶」
では最後に、大竹さんの考える、「うれしい未来」ってなんでしょうか?
世界中の子どもたち、お父さんお母さんたちがしあわせで、あたたかな思いやりや、やさしさをもてる未来であってほしいです。

絵本を通じて出会う人たちって、国や地域を問わず、どこも同じマインドなんですよ。みなさんやさしいし、楽しいうれしい、っていう気持ちで満ちています。もちろん、韓国でも同じです。

絵本の本質は愛だと思います。赤ちゃんに離乳食をあげるとき、農薬や添加物がいっぱいのものではなく、できるだけ素材がいいものを、って慎重に選びますよね。その延長で、次に育てるのは「言葉」。だから子どもたちたちに与える文学というのは、とても大切な愛の結晶なんです。

日本には、50年以上、それこそおばあちゃんから3代読み継がれている絵本というのもたくさんあります。50年、60年と読み継がれるような、言葉を大切にした、愛の詰まった絵本を作っていきたいです。
東京純心大学 こども文化学科
教授 大竹 聖美(おおたけ きよみ)
京純心大学 こども文化学科 教授 大竹 聖美(おおたけ きよみ)
1969 年、 埼玉県生まれ。 東京純心大学こども文化学科教授。
日韓文化交流基金訪韓フェローおよび大韓民国政府招聘留学生として6年間韓国で学ぶ。博士(教育学・韓国延世大学)。

2004 年に帰国してからは韓国児童文学・絵本の研究と翻訳をしている。

訳書に『ママとうみのやくそく』(主婦の友社)など多数。